ゼネコンの都市開発~その①

2024年9月19日

都市開発のはじまり

今から約100年前、大正12年(1923年)9月1日午前11時58分に神奈川県西部から相模湾を震源としてマグニチュード7.9(最大震度7)と推定される大地震(以下「関東大震災」という。)が発災、多くの犠牲者・行方不明者が発生し、多くの家屋が全壊・全焼する未曽有の大災害となった。当時の東京府下において、大型の建造物の多くは、煉瓦造りであり、耐震性が考慮されていなかった為、大きな地震の力の前に、ことごとく倒壊。また、多くの住宅が木造瓦造りであり、倒壊と共に、甚大な火災被害をもたらした。

大規模な災害を機会とした既成市街地の改造は関東大震災を嚆矢とする論がある。現行の都市開発制度における高度利用地区での再開発手法のように、個別に細分化された家屋の集合体であった区域において、地震等の大規模災害に対して強靭且つその街に適した良好な都市空間を整備することを目的として様々な都市計画手法が編み出され、今日に至るまで国内各所において災害に強い近代的な都市計画が行われるようになった。

関東大震災後の銀座
(出典:吉川弘文館「写真集 関東大震災」(1923年9月)より )

都市開発の豊富な実績

大成建設は、ゼネコンの中では最も古い1971年から都市開発に取り組み、特に市街地再開発事業は全国でシェアトップとなる約2割の地区に携わってきた。
都市開発やまちづくりは、都市を創りたいと数人の地権者がまとまるだけでは、実現しない。例えば市街地再開発事業では、対象となる地区の一定数以上の地権者の同意を得たうえで、地権者を支援する役割としてコンサルティング会社やデベロッパーやゼネコンが事業に協力し、最終的な都市モデルを計画・立案しながら資金面でもバックアップし、行政が策定する都市計画に沿った事業モデルの認可を得たうえで施設整備事業を進めていく。事業によっては、建物完成まで、数十年の月日を要することもある。
大成建設はこれまで、市街地再開発事業に代表される都市開発手法に則り、地権者や行政やデベロッパーと共に都市計画の作りこみを行い、工事受注を獲得してきた。また、金融機関や投資家とのネットワークを活用し、開発事業(不動産投資開発)にも積極的に取り組んできており、これらの取り組みにより、大成建設は豊富な「開発ノウハウ」を蓄積している。

新たな都市開発のモデル

昨今、大成建設の都市開発に関わるビジネスモデルが変化しつつある。これまで工事受注獲得で培ってきた「開発ノウハウ」を、開発投資に活かすために、大成建設の「都市開発本部」がデベロッパーの立場となり、オフィスビル等の企画から運営に至るまで都市開発に一気通貫で携わるというビジネスモデルが始まっている。そこには、ゼネコンがデベロッパーとして初期段階から事業に参画し、ゼネコンの「技術力」を活用することで付加価値の高いまちづくりを実現するというビジョンがある。

海外への展開

大成建設は、戦前の台湾での鉄道、ダム建設に始まり、戦後も東アジアや中東でオフィスビルの建設やインフラ整備など、数多くの工事を手掛けてきた。
開発事業についても、近年、東南アジアやアメリカに進出するなど広がりを見せている。

台湾 烏山頭ダム(1930年竣工)

本稿では、海外でもデベロッパーの立場として、国内外の事業の中で得られた知見やネットワークを活かした事例を、次回紹介する。

大成建設が手掛けた主な開発プロジェクト

~御茶ノ水ソラシティ~ 事業名「神田駿河台4-6計画新築工事」

御茶ノ水ソラシティ (2013年竣工)

千代田区神田駿河台の旧日立本社ビル跡地において、都市再生特別地区の制度を適用した大型複合施設「御茶ノ水ソラシティ」の開発を推進するとともに(2013年3月完成)、施設の一部持分保有および他社と共同で設立した特定目的会社への出資を通じて、開発投資を行っている。

~センタラグランドホテル大阪~ 事業名「難波中二丁目開発計画」

センタラグランドホテル大阪 (2023年竣工)

大阪なんばエリアにて、2023年3月に一部開業、7月にグランドオープンした新街区「なんばパークス サウス」の開発を推進するとともに、他社と共同で設立した特定目的会社への出資を通じて、「センタラグランドホテル大阪」に開発投資を行っている。

~MID TOWER GRAND~ 事業名「月島一丁目西仲通り市街地再開発」

月島一丁目西仲通り地区市街地再開発
MID TOWER GRAND(2020年竣工)

中央区月島にて、都心の高質な住宅を整備する事業に2007年より事業協力者として参画し、特定業務代行者、参加組合員として事業推進から工事施工まで、事業実現に貢献(完成2020年10月)。